つきどのじんじゃ
宮崎県西都市調殿
一ツ瀬川下流右岸に位置し、地名の由来は神を祀る斎殿の意から出ているといい、また一説には中世に宇佐領であったことから、調殿とは宇佐宮の貢物を納める倉庫の意であるともいう。 当社は、往古の創立と伝える..
一ツ瀬川下流右岸に位置し、地名の由来は神を祀る斎殿の意から出ているといい、また一説には中世に宇佐領であったことから、調殿とは宇佐宮の貢物を納める倉庫の意であるともいう。 当社は、往古の創立と伝えるが、社殿炎上のため諸記録焼失し、創立年外ははっきりしない。ただし当時の焼灰塚が境内にある。 社伝によると「延喜五年(905)宣下により神楽を奏す」とあり、承平四年(934)以後、長元五年(1032)・永保三年(1083)・保延三年(1137)・養和元年(1181)等に社殿の再興があったと伝える。旧称を調殿八幡宮といい、「斎殿神社」の記名もみられ、天児屋根命が神事をつかさどる所、すなわち斎殿なりともいう。なお、この地の東方・茶臼原台地の一部児屋根原には、天児屋根命の山陵とする前方後円墳がある。この古墳を村人は「児屋根塚」と呼んでいる。 文化十年(1813)斎殿神社と改め、明治四年調殿神社と改称し、現在に至る。
宮巡 ~神主さんが作る宮崎県の神社紹介サイト~より
天児屋根命の斎殿(いつきどの)の跡と伝わる古社
主祭神;天児屋根命 相殿神;神魂日命、高魂日命、生魂日命、足魂日命、玉魂日命、大宮売命、御食津命、事代主命 境内神社;稲荷神社(祭神・宇賀魂神)、五穀神社(祭神・保食神)、歳神社(祭神・若年神)
無し