当社は太古から宮座山(現新庄村)に美甘郷の総鎮守神として味鋤高彦根命を祭る大宮所があった。
御祭神の別名を御鴨神と申し上げたことから御鴨神社と呼ばれた。郷名も孝徳天皇大化2年御鴨と定められ、元明天皇和銅6年の詔により美甘郷となる。
その後火災に遭い、美甘と新庄の2ヶ所に分けて祀られることになり、三条天皇の長和5年本庄宮原の宮峪に遷座する。
天正4年守護森家の時、町頭の現在地に遷座し、国司神社と並祀する。天正10年、例祭日の10月9日を10月19日に変更する。
明治6年、それまで御鴨神社としていた社名を美甘村の総社として美甘神社と改める。
明治43年同村平島の惣社神社、宇南寺の八幡神社、その他数社を合祀する。よって御祭神も主祭神の他大国主命、須勢理毘売命、素盞鳴命、大山祇命、誉田別命、少彦名命、神功皇后、武内宿禰、と多くなり、境内には本殿の他、疫神社、若宮神社、その他小さな末社が4社ある。
本社の由来を示すものとして、神社の宝物となっている平賀左衛門太郎元義の「美甘神社考証書」がある。これは、元義が新庄村の宮座山と一宮社(本社)を歴訪しての帰り、神代村の社家神田家に足を止め、酒に浸りながら書いたと伝えられ、神社の由緒のみならず、古代から中世にかけての美甘荘歴史の一端をうかがうのに参考となる資料でもある。 文中鋤は(金へんに且)