寒巌義尹(かんがんぎいん)禅師(1217-1300)の開山と伝わる。
高千穂領主の尊崇厚く、延宝2年(1674)の『高千穂庄仏明帳』には「釈迦。十社の之御本地。2間4面。禅寺徳玄寺。」とある。
明治23年(1890)の火災により焼失。寒巌義尹禅師による高麗版大般若経600巻を残し、他はことごとく焼失。
本尊阿弥陀如来の胴内に「座像壱尺ニ寸之阿弥陀如来、御面阿なミの御作物なり。 残りは造りたし也。延宝6年(1678)戊午卯月吉日。二条通鶴屋町大仏師佐右衛門(花押)南無阿弥陀仏。あつらへ主は西国なは不存候」記されている。 ここで「阿なミ」とは奈良東大寺大仏師安部弥快慶(康慶の弟子)。
明治39年(1906)大字三田井1099番地に一宇を建立(再建)したが、平成9年(1997)に現在地に移転した。