つしまじんじゃ
岐阜県揖斐郡揖斐川町上南方1776
大和村誌に「御神体は霊石、本宮尾張海部郡(今海東郡)門直庄神島(今津島)に在り。本社鎮座地は元伊尾野村と称せしが、此地往古久瀬川北流し主要なる船付場にて、鎌倉時代尾張津島港繁栄の頃此の要津も隆盛し、..
大和村誌に「御神体は霊石、本宮尾張海部郡(今海東郡)門直庄神島(今津島)に在り。本社鎮座地は元伊尾野村と称せしが、此地往古久瀬川北流し主要なる船付場にて、鎌倉時代尾張津島港繁栄の頃此の要津も隆盛し、当時本宮より分祀と此の湊の鎮守神とせり。当時は津の神今世は疫勵の神とす」と出ている。津の神として祀ったが、後疫勵の神として崇敬している。社殿は享保十一年三月再建。明治二十三年再建。大正六年再建。この時 八幡社、神明社、稲荷社を合祀した。鳥居は大正十一年奉新設。往古は大門長く浜に沿っていたが、中古東西に変じた。(大和村誌に依る)古代の祭典は「おみおくざま」と称へ、三升の鏡餅を氏子に分かち、湯の花を行った。其の釜の銘に「文化元甲子年八月伊尾野村」とある。
素盞嗚命(すさのおのみこと)
旧村社
9月15日