みやざきじんじゃ
広島県安芸高田市吉田町相合261
南北朝時代の観応元(1350)年に毛利師親が勧請、以後、毛利氏の氏神として崇敬された。 幕府の命令で石見(島根県西部)の佐波善四郎の討伐に赴く際に、江の川で先祖の地である相模国(神奈川県)の宮崎の..
南北朝時代の観応元(1350)年に毛利師親が勧請、以後、毛利氏の氏神として崇敬された。 幕府の命令で石見(島根県西部)の佐波善四郎の討伐に赴く際に、江の川で先祖の地である相模国(神奈川県)の宮崎の八幡宮に先勝を祈願した。そして抜群の戦功を挙げたことから、この地に八幡宮を勧請したのが始まりと伝えられている。 永禄11(1568)年、元就によって再建され、その後も毛利氏により修理・再造されている。
中国自動車道高田インターより約15分
無料
あり