にったはちまんじんじゃ
宮城県黒川郡大和町宮床字仁田107
当社は、元仙台城伊達肥前宗房の邸内に祀られていたのを寛文13年(又は延宝元年)宗房に宮床村新田を封地と定められてより、社をここに遷祀し、新田八幡宮と奉称して家の鎮護神と崇め明治維新に至る。元禄8年藩..
当社は、元仙台城伊達肥前宗房の邸内に祀られていたのを寛文13年(又は延宝元年)宗房に宮床村新田を封地と定められてより、社をここに遷祀し、新田八幡宮と奉称して家の鎮護神と崇め明治維新に至る。元禄8年藩主綱村(或は宝永元年獅山吉村とも)社領三十石の地を献ずる。宗房の子村房綱村の嗣(獅山吉村)となり父の意を承けて祭田若干を寄進して厚くこれを尊信した。 延宝2年春日社を境内に勧請し、その後、享保4年に5代藩主・伊達吉村公が社殿と荒神社を再建した。別当寺は真言宗・栄法寺でしたが明治3年分離しました。 宮床伊達家の勝負事の神として崇められてらいたほか、勉学にも力を入れていたことから学問の神としても信仰を集めている。(由緒書きより)
応神天皇、神功皇后、玉依姫
9月第2日曜日