すみねじんじゃ
島根県雲南市加茂町立原115
出雲風土記に「汗乃遅社」、延喜式に「同社に坐す須美祢神社」である社で宇治にあった社である。同社という意味は合社でなく、別社として官幣を捧げた由緒ある社である。現在の宇能遅神社(宇治)とは深い関係のあ..
出雲風土記に「汗乃遅社」、延喜式に「同社に坐す須美祢神社」である社で宇治にあった社である。同社という意味は合社でなく、別社として官幣を捧げた由緒ある社である。現在の宇能遅神社(宇治)とは深い関係のあった神社である。棟札の記録によれば「天文9年9月(1536年)再興」とあり宇治より須美祢神社を立原の地に再興し宇能遅神社の御祭神のうち須我祢命を勧請したものであり後年猿田彦命、天鈿女命を合祀したものである。更に雲陽誌に「立原村に宇治大明神あり」と記載されているがこれから考 えると立原が宇治とともに近松の庄に入っていた頃に称されたものと思われる。以来数度にわたり社名の変更 があったが明治4年から須美祢神社と称されるに至った。明治29年客神社を合祀。
須我禰命、猿田彦命、天鈿女命
10月20日
あり
なし