かもじんじゃ
島根県雲南市加茂町加茂中996
当社の勧請年代は不詳である。 平安時代の「延喜式」に、大和国の鴨事代主命とご同神なりと記載され、今日まで伝えられている。 出雲風土記によれば、 式内社式外社の別があり、当社は国社式外社)として屋代社..
当社の勧請年代は不詳である。 平安時代の「延喜式」に、大和国の鴨事代主命とご同神なりと記載され、今日まで伝えられている。 出雲風土記によれば、 式内社式外社の別があり、当社は国社式外社)として屋代社と記載されている。 社殿前に屋代社との扁額が今も掲げられ、古くから屋代社の称で崇敬されていた。 中世に至り加茂中、南加茂、砂子原、延野の一帯が、京都賀茂神社の社領となり 「福田庄」と呼ばれていた。 元久2年(1205年)に御本社(京都賀茂神社) から御分霊を勧請されたと伝えられており、又、この時代に地名も賀茂村と称し、 御社名も賀茂大明神と申してきたが、近世に神社名を加茂神社と称することになり 現在に至っている。 尚、現在の御社殿(本殿)は、京都賀茂神社御修復の際(寛保年間)、当地の豪族 (木村弥三右衛門)が、加茂神社御社殿建て替の為、京都において宮大工に命じ、 京都賀茂神社本殿の原寸どおりに建築の材を作らせ、組み立てるばかりにして持ち 帰り、当地に建築したものといわれている。 又、拝殿は京都賀茂神社の拝殿をゆずり受けて移築したと言い伝えられている。
八重事代主命
10月24日
あり