きたのじんじゃ
岐阜県揖斐郡大野町牛洞2969番地
創建年月日不詳なるも口碑に依れば本社に後醍醐帝の御宇建武延元の頃迄の地頭京都北の神社に御分神を乞ひ現在の地に奉齋創建せしものにして、その後美濃國清水城主稲葉一鐵公の家臣林甚太夫は牛洞村に蟄居し、菅原..
創建年月日不詳なるも口碑に依れば本社に後醍醐帝の御宇建武延元の頃迄の地頭京都北の神社に御分神を乞ひ現在の地に奉齋創建せしものにして、その後美濃國清水城主稲葉一鐵公の家臣林甚太夫は牛洞村に蟄居し、菅原公を崇拝し、我が国民の皇室中心神仏尊崇を説き、弥々敬神の念を崇め社殿を改造せり。慶応二年四月大垣藩主戸田采女正公は戸田淡路守氏良公を大垣新田室に御分家遊ばされ野林藩を設置せらるるに当たり牛洞村乙部を其の領分となし、御代々御崇敬最も篤かりき。明治八年三月村社に列す。
菅原道真(すがわらみちざね)
旧村社
4月1日