上保(かみのほ)にある遺跡。
かつて臨済宗妙心寺派の寺院・妙法山正傳寺があった場所である。
正傳寺は発掘調査報告書などの記録によると、安永年間に弥勒寺(北600mほどにある寺)6世・黙堂丈維(犬維?)によって阿弥陀如来を本尊として創建された臨済宗妙心寺派の寺である。黙堂丈維は東光寺(伊自良)16世・東囻○翁(とうごくこくおう、コクは「或の下に王」)を招いて開山とし、自らは2世となった。その後3世・萬谷禎海、4世・暘門梁珉と続いた。明治43年(1910年)には住職を務めた豊田愚中によって『寺籍調査表』が宗務本部に提出された。昭和30年(1955年)頃には駄菓子屋を営む尼が一人で管理し、のちに隠居寺として何人かが住んだが、昭和39年(1964年)を最後に記録が途絶え、糸貫町教育委員会の管理となった。この段階で仏像や過去帳などは東光寺に運ばれた。昭和51年(1976年)の「9.12豪雨」で船木山が土砂崩れを起こし、正傳寺の建物がすべて倒壊し廃絶した。