永仁元年(1293年)、尾張国余野村(現・大口町余野)在住の武士・小池与八郎によって亡妻の菩提を弔うため、一宇が建立された。翌年には与八郎の子・与八郎貞宗が真言宗の寺院・空母山徳蓮寺とした。
与八郎の妻は、山姥の化身として武芸の達人・福富新蔵に退治されたため、その菩提を弔う意味で建立された。これは近隣地域に伝わる伝説「山姥物語」と通じる。
戦国時代には幾度も兵火に遭って荒廃するが、文明元年(1469年)から数年間かけて大久地城主・織田遠江守広近が再興した。文明7年(1475年)に広近によって建立された中門が現存する。
広近はあわせて塔頭の龍福庵、全徳庵、徳重庵、宝光院を設け、大龍山徳林寺と改称したうえで悟渓宗頓禅師を招き中興開山とした。悟渓禅師は悟渓下八哲の一人・寿嶽宗彭禅師を創建開山として継承させた。
天正12年(1584年)に小牧・長久手の合戦が起こると秀吉方の兵火に遭い、古方丈と中門を残して全焼した。その後復興された。
明治9年(1876年)、犬山城第一黒門を山門としてに移築した。