きょうぜんじ
愛知県丹羽郡大口町外坪3-1
寛文7年(1667年)ごろからの過去帳は保存されているが、寺との関係はわかっていない。 明治15年(1882年)8月、丹羽郡外坪村に教順寺(名古屋市東区泉)の住職・木造等觀師が説教所(外坪説教所)..
寛文7年(1667年)ごろからの過去帳は保存されているが、寺との関係はわかっていない。 明治15年(1882年)8月、丹羽郡外坪村に教順寺(名古屋市東区泉)の住職・木造等觀師が説教所(外坪説教所)を建立した。説教所は明治43年(1910年)に汗明学校敷地内だった現在地に移転された。 昭和17年(1942年)3月、外坪説教所を外坪教順教会と改称した。また昭和21年(1946年)の宗教団体法の改廃と同時に当教会は解散し、4年後の宗教法人法施行と同時に単立寺院・宮西山教善寺を設立した。 昭和57年(1982年)、教会のころからの檀信徒一同らの願いによって浄土真宗本願寺派本山と被包括関係を樹立し、浄土真宗本願寺派の寺院となった。 平成11年(1999年)、現本堂・現庫裡・現山門などが再建された。
宮西山
浄土真宗
浄土真宗本願寺派
1882年(明治15年)8月
阿弥陀如来
木造等觀
宮西山教善寺
有り(境内東)