ほんきゅうじ
千葉県市川市本行徳24-18
当山の由来はさだかでないが、元亀三年(西暦一五七二年)宗祖日蓮大聖人の法孫中山法華経寺第一三世瑞雲院日暁上人の弟子・本乗院日能上人による御開創である(下総国東葛飾郡寺院明細帳による)。 日能上..
当山の由来はさだかでないが、元亀三年(西暦一五七二年)宗祖日蓮大聖人の法孫中山法華経寺第一三世瑞雲院日暁上人の弟子・本乗院日能上人による御開創である(下総国東葛飾郡寺院明細帳による)。 日能上人の御命日等は不明であり、大正六年の大津波等により貴重なる寺史の資料等が失われたものと推察される。甚だ残念な事である。 文化年間(西暦一八〇四年頃)発行の葛飾史略によると、「本久寺、浄延山といい、日蓮宗中山末、開基本乗院日能上人、元亀三壬申年建立、凡二三八年に及ぶ御除地四畝歩、祖師木像は身延山日朝上人作。隣寺の本應寺も中山末なりけるが、近年二ヶ寺を合わせて一ヶ寺とし、本應山本久寺という。本應寺御除地八畝歩也、天正六戌寅年(西暦一五七八年)建立。開基は実相院日應上人也。」と記載されている。 なお、元禄一五年(西暦一七〇二年)の寺院検地水帳には本應寺の名があり、本應寺が存在していたことがわかる。 本應寺のあった場所は、現本久寺脇道路を隔てた所にありますお稲荷様の周辺であったと推察されます。その証拠には、現在でもお稲荷様脇に数体の無縁様が祀ってあります。 現在、当寺院正式名称は照徳山本久寺であるが、山号がいつ本應山から照徳山に変わったかはさだかではない。(後略)
(「照徳山本久寺の沿革」より)
本乗院日能上人の開いた浄延山本久寺と、近隣にあった実相院日應上人の開いた本應寺が合わさって現在の本久寺となった。
照徳山
日蓮宗
旧正中山法華経寺末寺
1572年(元亀3年)
一塔両尊
本乗院日能
お施餓鬼 8月24日 お会式 11月24日
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