ほんがんじ
東京都府中市白糸台5丁目20−3
【ご由緒書きより】 當山の起源は、その昔源頼朝の奥州征伐の折彼地よりもたらされた藤原秀衡の守本尊と伝えられる薬師如来をまつったことに始まる。その後、総州の人大久保彦四良兵火に焼かれたお堂を再建し、..
【ご由緒書きより】 當山の起源は、その昔源頼朝の奥州征伐の折彼地よりもたらされた藤原秀衡の守本尊と伝えられる薬師如来をまつったことに始まる。その後、総州の人大久保彦四良兵火に焼かれたお堂を再建し、永正十三年(一五一六)鎌倉光明寺の僧、教譽良懐上人を迎えて中興開山となし一寺の形態を定む。(彦四良塚今なお東部出張所南に現存す) 徳川家康の家臣宮崎泰重、當地の領主となり當山四世真譽圓良上人に帰依し、天正二年(一五七四)境内および堂宇を寄進し寺を現在地に移転させ、この時はじめて當寺を八幡山本願寺と呼称する。また将軍塚より代々十一石四斗の朱印状下附され、併せて葵紋の使用も許され、以後周囲の発展と歩調を共にし現在に至る。現本堂は昭和四十七年五月落慶し、中に本尊阿弥陀如来をまつる。 境内の薬師堂には旧地より移された車返開運薬師如来が安置され、御名のごとく旧車返の地名の由来と深い因縁に結ばれている。
八幡山
浄土宗
阿弥陀如来