すわじんじゃ
山梨県上野原市上野原210
西暦1142~1143年の康治年間 武州横山党・横山三郎忠重が当地「古郡の郷(ふるごおりのさと)」に派遣され、土着して古郡忠重と名乗1145~1150年の久安年間に一族の氏神として「古郡神社」を創..
西暦1142~1143年の康治年間 武州横山党・横山三郎忠重が当地「古郡の郷(ふるごおりのさと)」に派遣され、土着して古郡忠重と名乗1145~1150年の久安年間に一族の氏神として「古郡神社」を創建したとされる。 古郡一族は和田の乱で義盛に加担し1213年に滅亡する。 西暦1249~1268年、建長寺の開山僧の一人、大覚禅師が真宗の豪族上原上野介吉実を伴ってこの地を訪れ、荒廃した社殿を再建し信州諏訪大社の御霊を分かちて祀り、「古郡神社諏訪大明神」と称したと伝えわれる。 その後この地は源頼朝の信仰厚き甲斐浅羽郷の加藤入道景廉の孫、景長に与えられ、永禄二年(1559)から天正十年(1582)武田氏滅亡まで加藤丹後守景忠と加藤弥次郎信景が上野原城主となり神社を守る。天正五年(1577)信景と嫡男の千久利丸で社殿を再建するが天正十年都留郷攻めの北条氏により放火される。 慶長九年(1604)に本殿が修復され、その後幾度も改修改築され現在の御社は棟札から寛文十年(1671)及び享保二十一年(1737)い修復されたものが元と伺わる。
建御名方命(たけみなかたのかみ)
有り