あづまじんじゃ
神奈川県中郡二宮町山西1117
吾妻山の展望台の下にある吾妻神社には、こんないわれがあります。 日本武尊(やまとたけるのみこと)の東征の時、三浦半島の走水から海路、 上総へ渡ろうとすると、突如として暴風が起こり、船もろとも海中に..
吾妻山の展望台の下にある吾妻神社には、こんないわれがあります。 日本武尊(やまとたけるのみこと)の東征の時、三浦半島の走水から海路、 上総へ渡ろうとすると、突如として暴風が起こり、船もろとも海中に沈むかと思われました。その時妻の弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと)は 夫に代わって海の神の怒りを鎮め、夫の武運を祈るため海に身を投じると たちまち海は静まりました。 その後、海辺に流れ着いた櫛を吾妻山山頂に埋め、ありし日の命を偲びました。その場所が吾妻神社だと伝えられています。
日本武尊の東征の時、海路へ渡ろうとすると、暴風が起こり海中に沈むかと思われたが、妻の弟橘媛命は海の神の怒りを鎮め、海に身を投じると海は静まり、その後海辺に流れ着いた櫛を吾妻山山頂に埋め、ありし日の命を偲んだ場所が吾妻神社だと伝えられている。
橘姫命 日本武尊