でんじょうじ(みみづくでら)
神奈川県小田原市城山4-19-8
正安2年(1300)に無極斎が創建、永徳年間(1381)に浄土宗列祖良肇和尚が、知恩院法脈を伝え樹高山西照院伝肇寺と号し、関東最初の念仏道場となったといいます。良肇和尚は、下総國横曾根村法性寺、飯沼..
正安2年(1300)に無極斎が創建、永徳年間(1381)に浄土宗列祖良肇和尚が、知恩院法脈を伝え樹高山西照院伝肇寺と号し、関東最初の念仏道場となったといいます。良肇和尚は、下総國横曾根村法性寺、飯沼弘経寺を開基した名僧です。芝増上寺九世・十世を輩出し出世の寺と称された他、北条氏直の帰依も受けたという名刹寺院。 北原白秋は、大正七年十月から大正十五年五月まで家族とともにここに住んでいました。白秋は、大正八年五月、本堂の東側に、小さな家を建てました。 「丁度とぼけた木兎の顔そっくり」なので、「木兎の家」とも呼ばれていました。現在、伝肇寺は「みみづく寺」の名でも知られています。 翌年には、レンガ造り三階建ての洋館を建て、そこで、多くの童謡の執筆をしました。童謡「揺籠のうた」もその一つで、大正十年に妻菊子が初めての子どもを身ごもった頃に作られた作品です。当時、庭には、詩の中にも登場する枇杷の木があった。
九州筑後柳川生まれの北原白秋が、東京動坂から小田原に移転したのは大正7年(1917年)2月。最初は十字町(現南町)の旧御花畑に住んでいたが、秋頃に天神山の伝肇寺の一室を借りて住み、そこで「小田原文章」などを書いた。
樹高山
西照院
浄土宗
1300年(正安2年)
阿弥陀如来像
足柄三十三観音霊場第25番札所