やむきじんじゃ
山形県新庄市本合海1881
矢向神社の創建は不詳ですが平安時代に編纂された歴史書「三代実録」によると貞観16年(874)5月11日に矢向神が従五位下に列していることから少なくともそれ以上前から鎮座していたと思われます。延長5年..
矢向神社の創建は不詳ですが平安時代に編纂された歴史書「三代実録」によると貞観16年(874)5月11日に矢向神が従五位下に列していることから少なくともそれ以上前から鎮座していたと思われます。延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に記載されていない事から式内社とは言えませんが、当地方では最もと古くから信仰されていた神社として知られています。境内で最上川が大きく方向を変え、矢向山が削り取られ断崖絶壁になっている事などから古来より自然崇拝的な信仰の対象となっていたと思われます。 文治3年(1187)には源頼朝に追われた源義経が平泉(岩手県平泉町)に下向する途中に船上から矢向神社を参拝し会津の津(本合海?)に上陸したことが「義経記」に記されています(ただし「義経記」は軍記物の為資料的価値は低いとされます)。以来、矢向神社は最上舟運の守り神として信仰の対象となっています。現在は対岸から舟でしか参拝できないようで、住民以外の人が訪れる事はほとんどなく、対岸に大きな鳥居があり直線上に僅かに社殿の影が見えるだけとなりました。又、急峻で神聖視された事から往時は女人禁制が敷かれていました。現在の祭神は日本武尊。
三代実録に貞観十六年五月十一日授出羽国矢向神社従五位下とあり国史見在社である。 醍醐天皇の御宇幣吊を賜う。 文和年中合海志摩守一城を構え崇敬する。 河航船の守護神として最上、庄内地方の船関係者に崇敬篤い。
日本武尊
十三級社 旧無社格
国史見在社