ようしゅういん
神奈川県川崎市高津区久地3-10-32
1582年、久地川辺伊勢宮川原に川辺伊賀守伊右衛門(吉祥院殿源川本覚徹山大居士)を開基として創建され、下作延円福寺四世吉山瑞琢大和尚が開山。旧記によれば、五間半の本堂、八間半の客殿に観音堂、地蔵堂、..
1582年、久地川辺伊勢宮川原に川辺伊賀守伊右衛門(吉祥院殿源川本覚徹山大居士)を開基として創建され、下作延円福寺四世吉山瑞琢大和尚が開山。旧記によれば、五間半の本堂、八間半の客殿に観音堂、地蔵堂、鐘楼の諸堂があって、伽藍の偉容を誇っていたが、1863年の多摩川氾濫によって諸堂宇流失し、久地中新田耕地の現在の場所に移し再建した。ところが1867年の失火によって諸堂消失。1870年仮堂建立。1896年本堂を再建し、1976年2月に解体されるまで曹洞宗寺院として檀信徒の信仰の場であった。その後、1977年3月新本堂を建立し、新時代にふさわしい堂宇が整えられた。 本尊釈迦牟尼仏。他に聖観音菩薩(御丈六寸五分)、文殊菩薩、普賢菩薩、大権修理菩薩、閻魔大王、達磨大師、両祖大師の諸像を本堂に。韋駄尊天、鳥枢沙魔明王を客殿に安置。
1570年頃に建立された歴史ある曹洞宗の寺院。1867年(慶応3年)の大火で諸堂を焼失、明治3年仮本堂を建立、明治29年本堂再建。昭和52年新本堂建立、平成14年新庫院建立と発展してきた歴史ある寺院。
冨鳳山
曹洞宗
吉山
準西国稲毛三十三所観音霊場第21番札所