たかだじんじゃ
岡山県真庭市勝山775
当社は久寿2年(1155)紀州熊野から勧請し、熊野大権現と称した。往古は社領300石あり、江戸時代までは熊野宮として地域住民に崇拝されて来た。明徳・応永(1390~1394)の間、前城主の三浦下野守..
当社は久寿2年(1155)紀州熊野から勧請し、熊野大権現と称した。往古は社領300石あり、江戸時代までは熊野宮として地域住民に崇拝されて来た。明徳・応永(1390~1394)の間、前城主の三浦下野守が高田に居城し、13世、200年間の祈願所となった。応永5年(1398)には高田城主三浦貞宗によって社殿が再建された。落城後、毛利輝元が領し、楢崎弾圧忠元兼をつかわし、天正11年(1583)に造営を加えた。慶長年中は森忠政会が本州を領し、長距の大塚主膳が修繕を加えた。近くは三浦瀞主が明和年中入国以来、産土神として尊敬し、その祈願所であった。また、三浦東久が痘瘡を患い、命が危なくなったとき、父三浦貞国は熊野宮をを頼んで祈祷し、危機を脱することができ百石の所領を寄進した。寛文11年(1671)現在の本殿が建てられた。明和元年(1764)入部以後、勝山藩主三浦氏もまた領内の守護神として熊野宮を崇拝した。旱魃、凶作、疫病流行のときは熊野宮に祈祷を命じた。 熊野信仰は奈良時代にはじまり、平安時代には天皇・貴族から庶民に至るまで熊野営三社に参詣し、「蟻の熊野詣」とたとえられるように熊野古道に行列ができたといわれるほどであった。やがて全国各地へ勧請され、武士の信仰も厚くなった。明治6年には44ケ村の郷社に指定され、昭和5年10月に県社に列格した。
伊弉諾命、伊弉冊命を祭神とする神社。創建は平安時代の末期、久寿2年(1155)。寛文11年(1671)に建立された中山造りの本殿は入母屋造銅板葺の造りで、真庭市指定の文化財となっています。
伊弉諾尊,速玉之男命,事解之男命,伊弉册命,天照皇大神,豐受比賣神
県社
久寿2年(1155)
入母屋造
10月19日:例祭
JR中国勝山駅から徒歩約10分
有り