むりょうじ
愛媛県今治市朝倉上甲776−3
当山は、白鳳年間、斉明天皇伊予行幸の際のお供の僧、無量上人により、浅地、車無寺(くるまんじ)の地に開創。本尊、阿弥陀如来は聖徳太子の御作と伝えられる。開創当時は三論宗で、後に真言宗に改め今日に至る。..
当山は、白鳳年間、斉明天皇伊予行幸の際のお供の僧、無量上人により、浅地、車無寺(くるまんじ)の地に開創。本尊、阿弥陀如来は聖徳太子の御作と伝えられる。開創当時は三論宗で、後に真言宗に改め今日に至る。当山第二世宥量上人は伊予の領主河野玉興公の御子で、その縁により、以来、当山は河野家の祈願寺となる。天正年間、宥実上人は龍門山城主、武田信勝公の外護を得て当寺を現在の地に移転。又、上人は天正10年、龍門山城落城、信勝討死の時、その子、富若丸(当時16才)を寺に隠潜させ、約十年問養育し、ついに天領の大庄屋職に就かせる。代々の庄屋の記録は『無量寺文書』又は『武田家文書』とも呼ばれ、現在、無量寺に残る。
龍門山
真言宗
醍醐派
阿弥陀如来
四国三十三観音霊場第二十三番
有り