天正文禄の比(1532年~1554年)、宣安明言大和尚(禅師)が龍田山の麓で廃寺となった壽福山常楽寺を再興開闢されたことにより本寺の歴史が始まっております。戦国の世であった当時、幾多の困難を乗り越えられた宣安明言大和尚(禅師)は加藤清正公(肥後国主)の重臣であった並河志摩守より崇信を受け、加藤忠広公(加藤清正公実子)および並河志摩守、南条元宅(加藤家重臣)が加藤清正公より許可を得て建立されております。
天正19年(1591年)、宣安明言大和尚(禅師)は大壇越(支援者)となった並河志摩守から古町(現在の西阿弥陀寺町)にあった所有地の寄進を受け、壽福山常楽寺を龍田山の麓から古町に移し「禪定院」と寺院名を改め建立されました。移転を終えた宣安明言大和尚(禅師)は程なく「禪定院」を第二世住職 顯岩宗允和尚に託し、ご自身は広勝寺(現在の菊池市)にてご隠居されました。
古町に移転した「禪定院」は不幸なことに二度もの火災に遭っており、元和寛永の比(1615年~1644年) 第三世住職 融山長祝和尚が並河志摩守等の協力を得て、この地に名称を「玉龍山 禪定寺」と改め建立、現在に至っております。