伝承では源氏隆盛の頃の勧請という。昔から「相模七左馬(鯖)の一社」と崇められた社で、新編相模風土記稿にも「鯖明神社」と記している。明治6年12月に和泉村の「村社」に列せられた。寛永2年12月に能見松平の勝左衛門昌吉が和泉村の領主になった時に村の鎮守として再興、また能見松平家累代の祈願所とした。また代々の領主は氏子と共に社の護持や社殿の修復に尽力しており、文化13年、天保6年の棟札が残されている。総欅造りの本殿は県教育委員会が昭和60年に実施した近世社寺建築調査の対象になり、平成5年の報告書に記載されている。平成16年にその本殿を保護する社殿が新築された。