いしがみじんじゃ
青森県青森市入内字駒田
藩政時代、「石神様」としてその霊験が広く暄伝された。日月輪の自然石から湧き出る清水が難病や眼病治癒に効果があったという。大祭の陰暦6月16日前後は、参詣する人が後を断つことがなかった。杉の大樹はその..
藩政時代、「石神様」としてその霊験が広く暄伝された。日月輪の自然石から湧き出る清水が難病や眼病治癒に効果があったという。大祭の陰暦6月16日前後は、参詣する人が後を断つことがなかった。杉の大樹はそのことを物語っている。草創年月は不詳であるが、霊泉の発見者は、眼病を煩っていた小館村(現青森市)の弥十郎という人であると伝えられている。明治初年、神佛混淆禁止のとき、神社の形体が未整備の理由から信仰を禁止させられた。しかし、霊泉を求める人が多く祈祷所を願い出たが、明治5年、県庁から「愚民を惑わす妖言」として不許可になった。その後、自然石の破壊も試みられたという。明治38年、三上東満によって再開発され、以後、小野林之助、成田嘉七に継承され聖地として整えられた。祭神は天照皇大神、月夜見大神、大山祇大神、例祭日は陰暦の4月、6月、9月の16日である。
天照皇大神、月夜見大神、大山祇大神
陰暦の4月、6月、9月の16日