賀田城は飯南町下来島にある通称「松本山」(標高494m)に築かれた中世の山城です。
『赤穴家系図』によると1346年(正平1)に石見地方の国人領主であった佐波実連の弟、秀清が「都賀高巻城に篭城して利あらず、後、下来島高名和城の篭る」
また、同書に「左馬助幸季(赤穴美作守幸清の弟)、下来島、八神、志津見、波多の四村を領す。下来島高名和城に居し、後、越後守と号す」とあります。
築城にかかわった人物や年代は不明ですが南北朝時代にはすでに存在し、後に赤穴氏が入り瀬戸山城(赤穴氏の本城)の支城的な役割を果たしたことが伺われます。