たつのじょうせき
兵庫県たつの市龍野町上霞城128−1
龍野城の始まりは永正三年(1506)頃に赤松村秀により、標高200m程の鶏籠山の山頂一帯に築かれた鶏籠山城(龍野古城)に始まる。 山頂に本丸、南の尾根先に二の丸を配した連郭式山城で、麓には城主の居..
龍野城の始まりは永正三年(1506)頃に赤松村秀により、標高200m程の鶏籠山の山頂一帯に築かれた鶏籠山城(龍野古城)に始まる。 山頂に本丸、南の尾根先に二の丸を配した連郭式山城で、麓には城主の居館を設け、有事には山頂の詰の城に移って戦いに備えた。 龍野城主としての赤松家は村秀、政秀、広貞、広英(広秀)と4代にわたって続くが、天正五年(1577)に羽柴秀吉の軍勢に包囲され、広英は戦わずして城を明け渡し、秀吉の旗下となった。 その後は蜂須賀小六正勝、福島正則、木下勝俊、小出吉政など秀吉旗下の武将が相次いで入城。 徳川氏に世の趨勢が傾き始めた慶長五年(1600)には池田輝政が入城、以後は利隆、光政と池田氏が3代続き、本多政朝、小笠原長次、岡部宣勝と城主が目まぐるしく交代した。 そして万治元年(1658)に京極高和が讃州丸亀に御国替えになると、城は一旦破却され、14年間幕府の天領となった。 寛文十二年(1672)、脇坂安政が信州飯田より五万三千石で入部、山頂の城郭を正式に放棄し、麓の居館部のみを陣屋形式に再整備して近世龍野城を完成させた。脇坂氏は以後、明治まで10代200年間龍野を治めた。 現在の龍野城は石垣が一部改変されているものの良好に残っており、麓の居館跡には本丸御殿、多聞櫓、埋門、錣坂門、土塀が再建されている他、二層の模擬隅櫓が建造され、たつの市のシンボルとして親しまれている。 鶏籠山の山頂には曲輪跡や石垣、井戸跡などが良好に残っている。
JR姫新線本竜野駅から徒歩20分
8:30~17:00
無料
40分
無し。たつの市観光駐車場や周辺のコインパーキングを利用。
有り