江戸末期の安政の大地震は農地にも甚大な被害を及ぼしましたが、駿河国有度郡三保村(今の静岡県静岡市清水区)一帯では海岸が隆起して新たな土地を生じたたため、困窮する小前百姓らは三保村の藤五郎(遠藤藤五郎)を代表として、領主である御穂神社神官の太田健太郎にこの土地の開墾を申し出ます。ところが領主はこれを拒絶したため、藤五郎は幕府代官所に訴え出て、土地の一部が配分されることになりました。その後藤五郎は捕らえられて投獄され、ようやく釈放される直前に何者かによって毒殺されたといいます。明治4年(1872)、藤五郎の遺徳を偲んで街道筋に稲荷の小祠が建てられ、これが遷座して立派な社殿をもつ「藤五郎神社」となり現在に至ります。