こまかいざん こうじゅうじ
長野県上伊那郡辰野町伊那富今村312
本寺の創立は淳和帝天長年間で、弘法大師の開基であるという。大師自ら馬頭観世音菩薩の像を刻み本尊とした。その頃の本寺は宮所の奥、今村沢にあったという。その後幾多の時を得て、寛正5年(1464年)大和国..
本寺の創立は淳和帝天長年間で、弘法大師の開基であるという。大師自ら馬頭観世音菩薩の像を刻み本尊とした。その頃の本寺は宮所の奥、今村沢にあったという。その後幾多の時を得て、寛正5年(1464年)大和国の文弘律師が紀州根来山に安置してあった虚空蔵菩薩を携え来たりて、堂宇を現在の地に移し、伽羅を造営した。よって律師を中興開山とする。現在二十世は、律師から数えてこのことである。山号の騮飼山は秘仏の馬頭観世音を祀るところから馬の守護祈願所となり、「続日本書紀」に「天平10年8月、信濃國より黒色白髪尾の神馬を献ず。」とあるは当所よりも献馬で、駒ヶ岳の名はこの神馬より出るという。当寺は駒ヶ岳に連なり、此所にてその神馬を飼育した因縁により山号を「騮飼山」と名付けた。騮は「くりげ」神馬の号である。現在の本堂は享保7年(1722年)の再建である。
騮飼山(こまかいざん)
高野山真言宗
淳和帝天長年間
大日如来
文弘大師
弘法大師
伊那諏訪八十八霊場第三番札所
あり