しおがまじんじゃ
徳島県鳴門市撫養町黒崎字清水172
旧神饌幣帛料供進神社。現在は塩釜神社という。社記に「慶長年間(1598~1615)旧藩主蜂須賀の老臣益田大膳、塩浜に適当の地と見込み、諸国より人民を召募せしに、播磨国より河野七郎と云う者、黒崎へ立寄..
旧神饌幣帛料供進神社。現在は塩釜神社という。社記に「慶長年間(1598~1615)旧藩主蜂須賀の老臣益田大膳、塩浜に適当の地と見込み、諸国より人民を召募せしに、播磨国より河野七郎と云う者、黒崎へ立寄り塩浜築造の周施をなし漸々塩浜繁栄するに及び同暦8年9月11日陸奥国宮城郡千賀の浦塩竈神を勧請し氏神と崇敬す。尓後塩や十二ヶ村郷社と私称す。天明2年(1782)3月15日郡奉行より改めて撫養塩屋十二ヶ村の郷社と定められ祭祀を執行す。明治4年(1871)7月20日村社に列せられる。」と記されている。
塩土翁命(しおつちのおきなのみこと)
旧村社
10月11日(体育の日)
有り。
無し。