しょうりんじ
山形県東村山郡山辺町大字要害214
少林寺は山形県東村山郡山辺町大字要害に境内を構えている曹洞宗の寺院です。少林寺は案内板によると「貞享元年(1684)に記された少林寺記などによると、鎌倉時代の初め(1186年頃)西行法師が、東大寺大..
少林寺は山形県東村山郡山辺町大字要害に境内を構えている曹洞宗の寺院です。少林寺は案内板によると「貞享元年(1684)に記された少林寺記などによると、鎌倉時代の初め(1186年頃)西行法師が、東大寺大仏殿に沙金勧請のため陸奥の国に参り、ついでに出羽の国を越えて要害佐藤家を訪れます。そのとき庵を設けた跡に、永正年間(1504~20)になってから山形龍門寺二世貴庵禅師と言う僧が来て白坂寺が開創されます。その後、寛文年中(1661~72)に佐藤家三代目、佐藤和泉茂莫の時代、竜門寺十三世仁室和尚を招き、達磨山少林寺(曹洞宗)が開山されたことが伝えられています。境内にある梵鐘は、山辺町の文化財になっています。」とあります。 少林寺梵鐘は戦国時代に白鳥城の城主、白鳥十郎長久が戦勝祈願の為、谷地八幡宮(山形県西村山郡河北町)に寄進したものでしたが、天正12年(1584)に長久は最上義光に山形城に呼び出され謀殺された事で白鳥家は滅亡、梵鐘は義光が山形に持ち帰り鳥海月山両所宮(山形県山形市)に寄進し鐘楼を造営しました。明治時代初頭に発令された神仏分離令により両所宮の仏教色を一掃し神社になった為、少林寺が梵鐘と鐘楼を買い取りました。川西三十三観音霊場第22番札所。宗派:曹洞宗。
曹洞宗
1670年
川西三十三観音霊場第22番札所
梵鐘 山辺町文化財