せらはちまんじんじゃ
広島県世羅郡世羅町小世良328
世良八幡神社は貞観二年、世良彦社に八幡大神を併せ祀れり世良彦八幡宮とも唱えている。 世良彦命は孝霊天皇の皇子五十狭芹彦命並びに若建彦命が吉備の地を征定し給いし時、その部下として世良郡の郷土執政役郡..
世良八幡神社は貞観二年、世良彦社に八幡大神を併せ祀れり世良彦八幡宮とも唱えている。 世良彦命は孝霊天皇の皇子五十狭芹彦命並びに若建彦命が吉備の地を征定し給いし時、その部下として世良郡の郷土執政役郡司として地方開拓の任に当たり生民の基礎を開いた一偉人英雄の士であるという。 三代実録には、世羅郡を世良郡と記せり又地方を郡元と伝うるも、この地方を世良彦命が開拓創業せられしことが原因するものである。 即ち小世良(おせら)は御世良の敬語が転じたものである。当神社の宝物中の「宮内額」に当郡宗社と裏に大治二年作とありて、世羅郡の郡司も代々当神社を当郡の宗社として宗敬厚く郡民もこれに習い尊敬浅からざりし故に額面にこの文字があるのである。 その後は武門の宗敬最も厚く明応九年下見加賀守、宮殿改修する。
八幡三神、世良彦命
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有り