ちょうこくじ
島根県雲南市加茂町三代599
慶長十二年(1607)火災のため古文書を失い 寺史を確認し得ないが住古は真言系列に属し 室町時代宝徳三年(1451)山口県長門市湯本にある曹洞宗大寧寺の末寺となり 法灯連綿として現在に至ったている ..
慶長十二年(1607)火災のため古文書を失い 寺史を確認し得ないが住古は真言系列に属し 室町時代宝徳三年(1451)山口県長門市湯本にある曹洞宗大寧寺の末寺となり 法灯連綿として現在に至ったている 中世佐藤肥後守清左衛門尉輝武が永禄六年(1563)に戦没した両親一族のため長谷禅寺へ黄金百枚・土地十石を寄進した記録のドライブ鏡が発見され 寺の再興に寄与しものかと推察される 観音堂は元治元年(1864)に再建され方形四棟造りで中世の禅宗仏殿の様式をそのまま伝えている 現在の桜門は大正二年(1913)に大東町の名工上代又兵衛により改築された境内を取り囲む裏山一帯は椎の自然林でうっそうと茂り山号の一名獅子林を称したゆえんである 元禄五年、松江潘三代綱近公は眼病祈願のため毎年十二俵づつ寄進あり、又古来「子安観音」として安産、子授けを祈る遠近の人々の信仰が篤い
興福山
曹洞宗
十一面観世音菩薩
出雲三十三観音霊場 第八番札所
無料
30分
有り