じょうみょうじ
岐阜県郡上市明宝奥住2200
創建年代は不詳。もとは禅宗寺院で常妙院と称した。 明応6年(1497年)、住職・乗専は本願寺8世・蓮如上人に帰依して浄土真宗へと改めた。また阿弥陀如来木像および山号を賜り、寺号も常妙寺とした。 ..
創建年代は不詳。もとは禅宗寺院で常妙院と称した。 明応6年(1497年)、住職・乗専は本願寺8世・蓮如上人に帰依して浄土真宗へと改めた。また阿弥陀如来木像および山号を賜り、寺号も常妙寺とした。 5世・法勝は本願寺と織田信長との間で起きた石山戦争に門徒を連れて参戦し、顕如上人が紀伊国へ退去するときも従った。 本願寺教団(のちの浄土真宗)が東西に分裂した際、近隣の光明寺・西光寺・長光寺・蓮浄寺と五ケ寺で相談し、西方に残される御真影とは離れられないとの結論に達したため西本願寺につくこととし、代表が准如上人にこの旨を伝えた。このことを聞いた准如はたいへん喜び、五ケ寺すべてを直末としたうえでそれぞれに顕如上人絵像を下賜し、二十四講という講名を許した。
明宝奥住(めいほうおくずみ)にある浄土真宗本願寺派の寺院。同派岐阜教区郡上組第三ブロックに所属している。 国道472号線沿いにある。現住職は伊地田泰則氏。
谿澗山(けいかんざん)
浄土真宗
浄土真宗本願寺派
本願寺直末
不詳
阿弥陀如来
1497年(明応6年)
乗専
谿澗山常妙寺
常妙寺本堂 常妙寺山門 常妙寺鐘揚堂 (以上郡上市指定文化財)
防犯のため施錠されており、電話にて要連絡