なかじょう
千葉県香取郡多古町南中409
中城は多古町南東部の中村地区に位置し、中村小学校の東方、借当川に開けた谷津に突き出た舌状台地に築かれました。周辺の台地は、「中村の台地」とも呼ばれ、鎌倉時代や南北朝時代に開山された古刹正東山日本寺や..
中城は多古町南東部の中村地区に位置し、中村小学校の東方、借当川に開けた谷津に突き出た舌状台地に築かれました。周辺の台地は、「中村の台地」とも呼ばれ、鎌倉時代や南北朝時代に開山された古刹正東山日本寺や正峰山妙興寺、竹林山妙光寺などがあり、まさに多古の中心地ともいえます。千葉氏宗家当主だった千葉胤貞(1288年~1336年)がこの台地上に「中城」という城を築いたとも伝わりますが詳細は定かではありません。「中城」いう地名は、谷を隔てた諏訪神社側の台地上にも残っていて、台地全体を広義の意味での「中城」とする考えもあります。いずれにしろ、中村の台地全体が要衝地であり、戦国期に改修整備が施され、重要な防衛拠点として使われたと考えられます。