じょうえいじ ふさいじ
島根県松江市八雲町熊野2538
常栄寺(曹洞宗)は、尼子政久の開基によるお寺で、本堂の裏山には政久の墓所もある。 開基の尼三政久は、出雲尼子三代当主経久の嫡子で、法名を本白院殿華屋 常栄大居士とする。 尼子政久は武芸に勝れて幡..
常栄寺(曹洞宗)は、尼子政久の開基によるお寺で、本堂の裏山には政久の墓所もある。 開基の尼三政久は、出雲尼子三代当主経久の嫡子で、法名を本白院殿華屋 常栄大居士とする。 尼子政久は武芸に勝れて幡が上手で、詩歌・管弦に長じた花実相応の大将であったとされる。尼子政久は、永正15年(1518)9月6日に阿用城で戦死したといわれている。
札所寺である普済寺は、開創のころは大東町との境にある天狗山(610メートル)にあった。 言い伝えによれば、本尊の十一面観世音菩薩は、往古に裸形上人が八束郡第一の高山である天狗山の中腹にある滝の淵の水面に夜々毫光を放っているものがあることを聞いて、淵辺の岩の上に正心端座して輝く禅定に入ったところ、それが観世音菩薩の白毫光であることを知ったという。そこで、それを淵の中より拝迎して、その地に草庵を建て奉安したと言われている。上人は、観世音菩薩の御名号を感得して普済寺とした。 しかし、この地は人家から数十丁の離れた深い谷にあり、参拝者の不便から常栄寺の定水和尚が村の富豪長沢氏から字宮内に土地及び御堂を建立し寄附を受け普済寺を移転した。その後、明治政府の廃寺指示で寺名をやめ堂号とし、明治44年に常栄寺の境内へ移転し、その観音堂となった。今は本尊の十一面観音と御堂が、常栄寺の本堂と棟続きで並んでいる。
月窓山(常栄寺) 那智山(普済寺)
曹洞宗
釈迦牟尼仏(常栄寺) 十一面観世音菩薩(普済寺)
本白院殿華屋 常栄大居士(常栄寺)
出雲三十三観音霊場 第十六番札所(普済寺)
無料
10分
有り