かみおおしまちかとじんじゃ
群馬県前橋市上大島町607
神社系列としては、赤城神社(赤城三大明神)で年代は不詳であるが、鎌倉時代(1192~)以前の系列とされている。赤城神社の末社は、県内78社あり、赤城名52社・近戸名6社・他20社、近戸名は上大島の他..
神社系列としては、赤城神社(赤城三大明神)で年代は不詳であるが、鎌倉時代(1192~)以前の系列とされている。赤城神社の末社は、県内78社あり、赤城名52社・近戸名6社・他20社、近戸名は上大島の他・上増田・笂井・粕川村月田・深津・赤堀村今井にある。
名の由来は、里山近くに鎮座し、山の神の神社に登拝する入り口を意味する。明治44年(1911年)琴平宮、及び同神社境内末社である八坂神社、愛宕神社を合併する。
新田義貞の子孫俊純の奉納額がある。上大島町に人々が生活を始めたのは、おおよそ700年前からと云われており、神を崇める心は古くからあったと思われ信仰そのものは200年前から何らかの形で存在した事は想像できる。建造物社歴は、社殿(本殿)文化元年(1804年)、拝殿 文政11年(1828年)、手水舎 文政12年(1829年)、鳥居 文久2年(1862年)、鳥居再建 昭和63年(1988年)、幟旗立柱 大正7年(1918年)、社殿移転 昭和63年(1988年)(注:現在地より約7m北側から移転し、その時に東向きから西向きに変更)
平成17年、創建200年を記念し社殿の全面改修並びに式典を挙行する。 (本務社:駒形神社HPより)
大巳貴命
村社
江戸時代