かみながいそいなりじんじゃ
群馬県前橋市上長磯116-1
大正7年2月神饌幣帛料供進神社に指定される。
平成3~4年、国道50号線の拡幅工事に伴い氏子の総意により、現在の地に鎮座。 『稲荷神社移転改築記念碑』より 稲荷神社は村の鎮守の神と..
平成3~4年、国道50号線の拡幅工事に伴い氏子の総意により、現在の地に鎮座。 『稲荷神社移転改築記念碑』より 稲荷神社は村の鎮守の神として遠い祖先の時代より崇敬のまととなって来た。その祭神は農業の神といわれる宇迦之御魂神である。旧社殿は上長磯村字稲荷三○九番地で、集落中央の現地より東北約五○○メートルの地点に当る。その創立年月等は記録に残るもの無く不詳である但しその境内に存在した猿田彦命を祀る庚申塔の一つに寛文十二年十一月(西暦一六七一年)の銘を見ることができる。このことにより本年平成三年を遡ること、三一九年前にはすでに村の鎮守の神として村人の崇め祀るところであったと考えられる。時代を下って昭和の初期に県道前橋石山線が境内地南側を東西に貫き、その後交通の発達により国道五○号線として自動車の往来は逐年増加の一途をたどるに至った。この交通量の多い国道を横断して神社への参詣神事の執行、境内の清掃等を行うには大いなる危険をも伴うこととなった。加えて今次の国道拡巾工事の終了後には更に一層の危険を増すことが予想される。 また社殿及び付属建造物も長年にわたり風雨や自然災害を蒙り、その都度修復をかさね来たったが、全体的老朽化はいかんともなしがたい状態となった。このため氏子総代、自治会役員等より移転改築の議おこり、昭和六十三年十二月町内全体会議に諮りその議決を経、神社本庁の承認を得てこの地へ移築することとなった。 時恰も、天皇陛下御即位の礼、大嘗祭の執り行われるに際し記念事業として平成元年秋起工同三年三月竣工を見るに至った。よって記念のためこの碑を建てる 平成三年三月吉日 (本務社:駒形神社HPより)
中世末に上長磯に居館を構えていたと言われる加藤武右衛門の屋敷の鬼門除けとして祀ったという説と、近世後半に分限者として知られた閑家の屋敷稲荷が村の鎮守に昇格したという説がある