はやおじんじゃ(はんだ)
群馬県渋川市半田1439
旧豊秋村大字中村。創建年代は不詳。豊城入彦命が上毛野を創めた際、上村・中村・下村を定め、中村のこの地に自ら勧請した、と伝わる。 その際、豊城入彦命が手植えしたのが大ケヤキで、半田早尾の夫婦欅として..
旧豊秋村大字中村。創建年代は不詳。豊城入彦命が上毛野を創めた際、上村・中村・下村を定め、中村のこの地に自ら勧請した、と伝わる。 その際、豊城入彦命が手植えしたのが大ケヤキで、半田早尾の夫婦欅として知られる。ただし、樹齢600年程度とされ、もちろん、豊城入彦命の時代とは符合しない。 このケヤキは、根元周り11メートル、目通り周り7.3メートル、樹高19メートル、枝張り東西26メートル・南北22メートルの御神木。 平成8年(1996年)、幹の空洞化が進み、危険なため、主幹9メートルで切り、幹を治療した。子授かりの御利益があるという。 当社は『上野国神名帳』所載の「従四位上 家尾明神」に比定される。この家尾が後に早尾に転訛したという。 あるいは、速素盞嗚命・猿田彦命の2柱を奉斎するが、そのうちの速素盞嗚命の速と嗚が早尾に転訛したという。 室町時代の『神道集』「第四十一 上野国第三宮伊香保大明神事」では、「早尾大明神」と記載されている。 江戸時代中期の正徳3年(1713年)、再建された。天明3年(1783年)、浅間山の噴火後の洪水などにより、古文書などを喪失した。 江戸時代後期の文化14年(1817年)、群馬郡青梨子の桜井丹後藤原知義、半田の山口利根七積富と、半田の阿久沢宗左衛門の3人の宮大工により、現在の本殿が造営された。
旧村社 神饌幣帛料供進社
間口148cm、奥行244cm、高さ512cmの素木造で、柿葺(こけらぶき)の屋根を持つ。 渋川市指定重要文化財に指定
占い神事「お的」(神児が境内の的田に用意されたお的に矢を放ち、当たった箇所によって農作物の豊凶を占うもの。)
文化14年(1817年)、群馬郡青梨子の桜井丹後藤原知義、半田の山口利根七積富と、半田の阿久沢宗左衛門の3人の宮大工により作られた本殿
渋川駅 から徒歩7分(596m)
無料
有り