飯野陣屋(千葉県富津市)は保科正貞によって築かれた上総国飯野藩の陣屋です。慶安元年(1648)に正貞が加増を受け、1万7千石の大名になったため陣屋を構えました。保科氏は甲斐武田氏、次いで徳川氏に仕え譜代大名となりました。その後、正之は会津に移りますが、飯野藩は会津保科家を本家とし、幕末まで分家として存続、陣屋も維持されました。飯野陣屋は富津古墳群の中に築かれており、周囲にはいくつかの古墳が存在します。さらに陣屋内には前方後円墳である三条塚古墳が残っていて、その麓には藩校「明親館」が置かれていました。