玉造城は栗山川東岸に位置し、その支流常磐川との合流域を北に望む樹枝状台地の先端に築かれています。小丘ながらも三方を急峻な崖に囲まれた天然の要害となっています。郭、腰曲輪、空堀、土塁などの遺構が残っており、現在残る南北二つの郭から、直線的に連なる連郭式城郭の姿が推測できます。北側の郭には土塁が良好に残り、南西隅には八幡神社が祀られています。八幡神社の高まりは櫓台と思われ、南側郭との間の空堀と合わせて、守りを固めているのが見てとれます。この城の築城者等詳細は不明ですが、弘安年間(1278 年~ 1287 年)に野平伊賀守常弘が城主であったと伝わり、南北朝期においては、千葉胤貞による日本寺防衛のための北側の要塞として整備された可能性も指摘されています。