唐沢城主、佐野昌綱公開基。
大庵寺の創建は永禄11年(1568)当時の唐沢城主佐野昌綱が家臣である津布久昌成の菩提を弔う為、開かれました。この由来は昌成の3回忌にあたる永禄13年(1570)に編纂された紙本墨書念仏日記に詳細に記載され、昌綱をはじめ家臣488名が念仏を唱え昌成の法名である大庵から天王山昌綱院大庵寺が開かれました。
以来、大庵寺は佐野氏の庇護となり天正7年(1579)には昌綱の肖像画が寄進されています。この肖像画は昌綱が家臣である山上道牛に命じて描かせたもので、作風から当時の狩野派絵師の作品と推定されています。天正7年(1579)に唐沢城が廃城になると城内にあった天徳寺の本尊とされる木造阿弥陀如来坐像が佐野家家臣福島理左衛門宗俊が拝領し、その後当寺に寄進されています。
慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いの際には小山評定により会津侵攻を取りやめ西上する事が取り決められ、徳川秀忠が転進した際、当寺を宿所として利用したと伝えられています。