かんのんじ
長野県小県郡長和町長久保708
観音寺はその昔「観林蜜寺」と称し依田川沿いにあり、室町時代には行基菩薩の作である観音菩薩像を安置し、12坊を有しこの地方の大寺であったが、1430年頃の兵火により焼失した。 数十年にわたり無住とな..
観音寺はその昔「観林蜜寺」と称し依田川沿いにあり、室町時代には行基菩薩の作である観音菩薩像を安置し、12坊を有しこの地方の大寺であったが、1430年頃の兵火により焼失した。 数十年にわたり無住となっていたが、依田窪城主依田信守により1530年頃本堂の再建がなり、「福寿院 観音蜜寺」と号して祈願所に当てられたが、1543年武田信玄の侵攻により、再び焼失、1600年真田信幸が「松尾山 福王寺」として祈願所として再建したものの、水害により1632年現在の地に移転「松尾山 福寿院 観音寺」と称した。
松尾山
福寿院
真言宗
智山派
聖観音菩薩(真田信幸寄進 安土桃山時代作)
地蔵菩薩像 室町時代作 町指定文化財
あり