かぜいちもりじんじゃ
和歌山県紀の川市嶋368番地
以下、和歌山県神社HP該当箇所より引用
当神社も天正の兵火に罹り社殿・宝物・古文書等全て焼失し、鎮座等不詳であるが、古史の記する所に拠れば光仁天皇宝亀年間以前の鎮座であることは分明である。 ..
当神社も天正の兵火に罹り社殿・宝物・古文書等全て焼失し、鎮座等不詳であるが、古史の記する所に拠れば光仁天皇宝亀年間以前の鎮座であることは分明である。 紀伊国那賀郡長田庄6ヶ村の産土神である。 元来は社殿は、3社であったが先の御造営に当り、合祀本殿を1殿に改めたものである。 級長戸邊尊は元より、この地に鎮まります神であり、風の神であって伊勢の風宮より勧請すると云われ、若一王子社(天忍穂耳尊)は元当社より南3丁神木塚と云う所に在り、丹生明神社(丹生都比賣尊)は大字北長田の地に鎮座してあったのを、両社共延暦年中に当地に遷し奉ると云う。 正暦2年粉河寺へ下賜の太政官符に、西限り風ノ杜といへるのは当社の事である。 伝へて粉河の地主神であると云い、古くは頗る賽者多く武将武門の粉河寺参詣の途次は、第一に当社に参拝せられたと云われて居る。 社前老樟の脇に童男行者腰掛石があり、社の東南に清水湧き出づる井戸あり、是を松の井と言う。 昔童男行者粉河寺の内に、九井を穿たせ給うたその一つである。 この井戸に接した大字名は松井と言う。 当社には古より伝わる御管粥祭りの神事があり、毎年旧1月15日に執り行い、その年の年穀の豊凶を占う神事である。 ・家集 粉河寺に詣てつきて風の杜にて 大納言公任いとこえも花のあたりはあだなれといかにちるらん吹風の森 ・夫木抄廿一 春の歌の中に 鷹司院按察 うらみしな風の森なる桜花さこそあたなる色に咲くとも ・又三国伝記という冊子に左太夫長者という者の歌あり (社叢) 境内地は古木で覆われ真に古社の趣があり石又楠等が多く、神境を保って居る。 (例祭) 10月17日の例祭は各大字回り持ちで担当し行事の投餅が行われ、氏子等総出で賑わう。 尚近年若者の減少により行事に差障りが生じ日曜等の執行が考へられている。
級長戸邊尊 天忍穂耳尊 丹生都比賣尊
10月17日に最も近い日曜日