しぎさんじょうあと
奈良県生駒郡平群町信貴山1308
信貴山城はかつての河内と大和の国境にある、生駒山地に属する信貴山山頂に築かれた山城である。城としての起源は諸説あるが、確実な記録としては木沢長政によって運用されたのが最古である。天文11年(1542..
信貴山城はかつての河内と大和の国境にある、生駒山地に属する信貴山山頂に築かれた山城である。城としての起源は諸説あるが、確実な記録としては木沢長政によって運用されたのが最古である。天文11年(1542年)の太平寺の戦いにおいて長政が戦死した後、10年以上の空白をおいて永禄3年(1560年)に松永久秀が大和支配の拠点として現在に残る信貴山城の城郭を整備した。本丸には当時としてはまだ珍しい四層の天守閣があったと伝わり、久秀の築城の才が垣間見ることができる。 以後は松永久秀の城として数多くの戦の舞台となったが、天正5年(1577年)の信貴山城の戦いにおいて織田方に攻められ落城。久秀は自害し松永氏も滅亡、城は廃城となった。
無し。ただし山の中になるので安全のために日中の時間で見学を済ませること。
無料
約1〜2時間
専用の駐車場はなし。