わかみやはちまんぐう
静岡県焼津市中里1000
寛永6年(1629)彦根城の殿様であった井伊直孝公は、自分の生まれた所が中里であることを知って、村の社に八幡宮をお祀りしたと言います。八幡宮に残る棟札がその証として残っています。この棟札は焼津市の書..
寛永6年(1629)彦根城の殿様であった井伊直孝公は、自分の生まれた所が中里であることを知って、村の社に八幡宮をお祀りしたと言います。八幡宮に残る棟札がその証として残っています。この棟札は焼津市の書跡・有形文化財となっています。 この社の大祭は「神ころばしと七十五膳」といわれ、3年に一度執り行われます。神事は七十五膳を神前に供えるのに並行し、朝比奈川の清流で身を清めた氏子の若者有志によって行われる祭りで、ムシロに包まれた若者が境内で転び、そのあと勇ましいかけ声とともに境内を練り廻るのだそうです。 創建者の井伊直孝公(1590~1659)は江戸初期の幕府重臣です。幼名弁之助。直政の庶子で駿河国藤枝に生まれました。父の死後、慶長8年(1603)14歳のとき徳川秀忠の小姓となります。書院番頭・大番頭を歴任して1万石を領し、掃部頭となりますが、兄直勝が多病のため大坂の陣に出陣して軍功をあげ、徳川家康の命により家督を相続しました。終身江戸に在住し家光・家綱政権の枢機に参与しました。
大雀命(おおささのみこと)《仁徳天皇》
寛永六年 (1629)井伊直孝により創建