はちまんじんじゃ
宮城県栗原市築館薬師1-1
源義家公が、奥州平定の際に祀ると伝えられる。義家公の奥州平定は、前九年の役(1051年~1062年)、後三年の役(1083年~1087年)に遡る。平安時代初期812年以降、地方豪族で俘因長として強大..
源義家公が、奥州平定の際に祀ると伝えられる。義家公の奥州平定は、前九年の役(1051年~1062年)、後三年の役(1083年~1087年)に遡る。平安時代初期812年以降、地方豪族で俘因長として強大勢力安倍頼時の子貞任の謀反とされ端を発し、国司藤原頼義、義家軍との戦いは、12年間続いた。こうした前九年の役後、頼義は伊予の守に、義家は出羽守に任ぜられる。その後義家は陸奥守に就き清原武衡と戦う後三年の役を迎え、終えた。安永風土記(江戸時代中期1778年)に、1718年白山権現を八幡社に合祀した旨記載されている。又1200年前の創立と伝えられる隣接の双林寺の鎮守社と記載されている。明治8年村社に列す。
応神天皇