わだはちまんぐう
福岡県糟屋郡篠栗町和田674
此清浄なる聖地は,古代宗廟の鎮座し給う旧社跡なり,そもそも和田八幡宮の縁起をたずぬるに,草創は極めて遠く,古記により往昔天平十七年の頃(西暦745年)和田村民の発祥にはじまり氏神として熱く奉斎せしも..
此清浄なる聖地は,古代宗廟の鎮座し給う旧社跡なり,そもそも和田八幡宮の縁起をたずぬるに,草創は極めて遠く,古記により往昔天平十七年の頃(西暦745年)和田村民の発祥にはじまり氏神として熱く奉斎せしも天正14年8月(1586年)時の関白秀吉九州一統の砌り薩摩勢乱入し,神社仏閣を焼き乱暴至らさる所なり。 其際当社も兵火に罹り其の後社殿復興礼典を奉事せり,(慶安年間(1648年)貞享五年(1688年)当時実証の神器あり) 寛延三年(1750年)庚午歳黒田藩主六代目松平筑前守少将継髙公此社地に社殿を造営せられ武運長久第祈祷の礼典を厳修尊崇ありしもしばしば霊験有り。 皇国政体維新の砌り規則改正に依り明治五年十一月三日村社に定められ愈(異体字)々厚く本村の産土神と崇敬し奉らんと,乞希くは神の明比誠志を照覧あれ,国家安泰と和田村民の降伏を無窮に護らせ給えと (境内由緒碑)
神功皇后、武内宿禰、応神天皇